『エロスの原風景』
刊行記念
松沢呉一
インタビュー23
集大成の
エロ本クロニクル。
by fukumitutika(Modern Freaks)
2009年6月某日収録
Profile
松沢呉一(まつざわくれいち)
1958年生まれ。ライター。現在は、月刊『実話ナックルズ』(ミリオン出版)、『スナイパーEVE』(ワイレア出版)、『お尻倶楽部』(三和出版)等の媒体に連載中。その他著書として、『風俗お作法』(しょういん)など。自ら有料メルマガ『マッツ・ザ・ワールド』を配信。ちなみに、『エロスの原風景』は『実話ナックルズ』の連載を大幅に修正・加筆して構成したもの。
全国各地の雑煮、売春史からガロ系漫画家、さらには中国政府の報道規制までその無闇とまで思われるほどに広い博識で名を馳せるライターの松沢呉一氏。彼が、日本最大級の各種エログロ誌蒐集家であり、彼が甚大な時間と労力、そして私財を注ぎ込んだコレクションが遂に単行本『エロスの原風景』として好評発売中。その完成を機に、新刊単行本についての話を伺ってきたところ、出版という産業の現状を端から端まで検証してゆく長い長い話に。なんの話かそろそろわからなくなってきたところですが、これは松沢氏の『エロスの原風景』発売記念のインタビューです。でも、やはりおもしろいことはおもしろいので今回もそっちとはあまり関係ない感じでお届けします!
まだ松沢氏の肩凝りが完治しないようなので、前回使用したものの別テイク。ゲイSM方面からウケのよさそうな一枚ですね。
ライターからみた雑誌と編集者の存在価値。
「いつものことだけど、オレは書くこと、考えること、調べることは好きでも、本を出すことにあんまり興味がないんだよ。あと金も興味あるよ。本を出すのは金のためだから」
——また読者の購買意欲をなくすようなことを。
「でも、金って大事じゃん。皆さんが買ってくれることで、オレは生活もできるし、執筆もできる。もし十分な金を得られているんだったら、本なんて面倒なものはもう出さなくていい。金を得られていて、なお世界に向けて言いたいことがあればインターネットでやればいい。本を出すよりずっと伝わり得る。瞬間風速にしても、オレがプログに書くことで、万単位の人がアクセスすることもある。文庫になれば別だけど、そんな数字はオレの単行本ではあり得ない。現に仕事が減って、メルマガの読者も増えず、本でも出して生活のタシにするしかなくなっただけのことで」
——もしメルマガで食えるんだったら、雑誌の仕事もしなくていいんですか?
「うーん、経済面ではそうだけど、それ以外のことを考えると、そうは割り切れない。利用する側にとって、出版物とインターネットは二者択一ではなくて、どちらにもいい点、悪い点があって、どっちもうまく使っていけばいいのと一緒で、書く側にとっても、雑誌は雑誌のよさがある。メルマガにもブログにもいい点がある。他で十分な収入があるなら、本は出さなくてもいいけど、雑誌はやり続けたい」
——雑誌のよさってなんですか。
「書く側からすると、なんといっても、編集者の存在でしょ。自分だけで完結できる内容のものはネットでいいけど、自分だけではできないものってある。たとえば『スナイパーEVE』(ワイレア出版)や『お尻倶楽部』(三和出版)でいえば、編集部に情報が集まってくる。編集者の智恵があって初めて連載が成立している。そういう共同作業が必要な原稿もある」
——そこは持ちつ持たれつなんですね。編集部が書き手からもらった情報を使うこともありますしね。でも、ネットの連載でもそういう編集者がいればいいってことですよね。
「まっ、そうだね。誤字のチェックも、編集者がいればいいだけだから、編集者とライターという関係が成立していれば媒体がなんだって一緒。印刷物である必要はない。誤字や事実関係の間違いだったら、読者が指摘してくれる。あれはありがたい」
——ブログだったらそうですね。
「専門的な話になると、編集者より詳しい人が読者にいることもあるから、コメント欄はオープンにしておいた方がいい。印刷物でも指摘してくれる読者は少しはいるけど、雑誌の場合は一度出てしまったら直しようがないから、指摘する側も指摘しがいがない。それに限らず、ネットでは読者との距離が近いから、アイデアやテーマさえも提供してくれる読者がいて、プログの作り方次第では、編集者の役割は読者がやってくれる。ただ、印刷物とネットを単純に比較した時に、なお印刷物の方がいい点もあるにはある。文字数制限があることも時には利点があって、もともとオレは長く文章を書いてしまう癖があるので、ネットだと締まりがなくなるんだよね。無駄な文章を削ってちょうどよかったりするから、雑誌の文章の方が読みやすいかもしれない。文字数制限がないことの利点は、その10倍あるけど(笑)」
——インターネットでも、文字数の制限を自分でやればいいってこともありますし。
「Twitterであれば最初から文字数が制限されているしね。読み手としては、なお印刷物のよさはあって、だから、以前より少なくなったとはいえ、今も本や雑誌は読むわけだが、書き手としてどっちで読まれてもかまわんわな。あとはギャラの問題で、ギャラをくれるんだったら、喜んでオレはネットにも書くよ。実際書いているしさ」
——松沢さんが自分一人で書いて済む原稿においては、編集者ってホントにいらないんですかね。
「事務処理って点ではいた方がいいに決まっているよ。昔から言っていることだけど、オレが編集者に求める最大の能力は事務処理能力。スケジュールを立てて、金の処理をちゃんとやってくれて、掲載誌を発送してくれて、誤字脱字を直してくれて、事実関係をチェックして欲しい。共同作業を必要とする原稿については、オレという書き手の特性や原稿の内容を理解していることも大事だけど、それ以外では事務処理能力だけあればいいとも言える。友だちがいないから、メシにつきあってくれたり、チャットにつきあってくれる相手としてもいた方がいいな」
——それなら僕はいい編集者ですね(笑)。
「そうだね。こうやってメシを食っている時も、情報を交換したり、アイデアを出し合ったりするのももちろん重要で、これも共同作業の第一歩だけど、現実にはそういう関係のない編集者の方が多い。それでも、不満はない。事務処理作業だけしっかりやってくれれば。それはダメ編集者だって言う人たちもいるけど、昔に比べると、仕事が増えているんだから、書き手と密な関係を維持してられないだろ」
——ただ、できるだけ会って打ち合わせをした方がいいとは思います。そういうところから、信頼関係やネタが生まれるので。
「まあね。頻繁じゃなくても、顔合わせは絶対にした方がいい。でもさ、こんな時代に、いちいち会って打ち合わせをしないと納得しない編集者はウザいこともあるよ。メールで済ませられることはメールで済ませて欲しい。ちょっと前にも、繰り返しドタキャンされてムカついた編集者がいる。メールで済む話なのに、なんで会って打ち合わせをするために何度もメールのやりとりやってんだって話でさ」
——その点でも雑誌とネットは変わらない。ネットでも事務処理能力がある編集者がいればいいだけだと。
「だね。媒体を問わず、編集者は存在そのものに意味がある。人によると思うけど、原稿を書く時には、他者の視点があった方がいい。“誰かが読んでくれる”という前提がないとなかなか書けないし、書いても杜撰なものにしかならない。編集者の存在は、他者の視点の最たるもので、編集者の存在があるから、“ここはもう一踏ん張りして取材しよう”と奮起できる。金がからむってこともあるんだけど、ブログより雑誌の方がずっとしっかり取材をする。そこは読者の存在だけでは支えられないところで、編集者が“松沢さん、ちゃんとやってくださいよ”と催促してきたり、催促してこなくても、存在が緊張感を生む」
——催促がないと書けないライターさんっていまからすね。
「このインタビューだって、当初考えていたように、自分で自分のインタビューをでっちあげるだけだったら、話は広がらないし、想定外の質問は出てこない。まさか『エロスの原風景』のアピールポイントを聞かれるとは(笑)。ただ、この視線という役割も、ネットでは読者が果たしている部分もある。雑誌と違って、確実に読んでいる人たちをある程度把握できるし、それができなくても、数字がその代用になるところがある。出版物における編集者の役割が10あるとすると、ネットでは少なくともその半分は読者が果たしてくれそうに思う。SNSはコメントする側に緊張感がまったくないし、文章そのものを読むのではなく、文章を媒介にして人と接点を持ちたい人が多いので、ウザくなりがちだけど。ちゃんと意見を書いてくれるんだったらいいけど、“その通りだと思いました”“おもしろかったです”“これからごはんを食べに行きます”とかってコメントされても、どうしたらいいんだか(笑)」
(続く)



